寛政の鯨を巡る:品川クジラ史跡巡り
ようこそ、137号室へ。伊佐奈 瑛(@IsanaAkira)です。
本日は江戸を騒がせた三大珍獣のひとつ:寛政の鯨をめぐる史跡巡りの旅へ出発。
鯨以外の史跡にも寄り道をしながら、寛政の鯨に思いを馳せてみようと思います。
史跡巡りだけなら半日でじゅうぶん周ることができるので、平日の小旅行にもおすすめです🐳
江戸三大珍獣
江戸を騒がせた珍獣として知られているのは、以下の3種の動物たち。
- 享保の象(1728-1743)
- 寛政の鯨(1798)
- 文化の麒麟(1824, 1833)
このうち、享保の象と文化の麒麟はいずれも長崎の出島を通じて外国からもたらされた動物。つまり、寛政の鯨だけが自然にやってきた動物(?)なのです。
象と鯨のみ。しかも象については浜離宮で12年ほど飼育された記録が残っていて、後に「餌代が馬鹿にならん!」という理由で中野村の百姓・源助と柏木村の弥兵衛に払い下げられています。この2人、象の見世物で結構稼いだみたい🤔
ラクダは将軍に見てもらえなかったのです……(※紀州藩主は見物に訪れている)
象:研究のために吉宗が輸入を指示
鯨: 国産資源
というスタート地点の違いがあったことに加え、ラクダがやって来た頃には町人文化が成熟しており、珍獣=娯楽商品となっていたため幕府が関与する必然性が薄かったことも影響しているのかもしれません。
寛政の鯨
寛政10年5月1日(1798年6月14日)、暴風雨のため品川沖に1頭のたセミクジラが迷い込みます。
当時、東京湾では安房勝山で醍醐新兵衛が組織した鯨組による捕鯨が行われていたものの、品川の漁師たちは鯨を見たことがありませんでした。
せっかくの鯨、ここで逃しては漁師の恥! ということで、品川の漁師たちが総出で舟を出し、船べりを叩いたり法螺貝を吹き鳴らしたりしてセミクジラを天王洲へ追い込みます。
洲を乗り越えようとした鯨が岸から300 m ほどの浅瀬に乗り上げたところを捕獲したという記録が残されており、その大きさは長さ9間(約16 m)、高さ7尺(約2 m)。

セミクジラ(Right whale)の体長は成体で14〜18 m程度、体高(厚み)は背〜腹で1.5〜2.5 mくらいなので、かなり立派な鯨だった模様。

身近なもので例えると……
- 路線バス:12 m
- 電車1両:20 m弱
なので、長さはだいたい電車1両ぶんくらい。高さは大人だいたい2人分なので、かなりの壁感があります。
今回のルート
今回はかなり寄り道をしながらクジラの史跡とクジラモニュメントを周ります。

寛政の鯨関係:🐳マークの史跡だけを周る場合は、2時間ほどあれば大丈夫!
- 品川浦舟だまりと北品川大橋
- 🐳利田神社・鯨塚
- 御殿山
- 御殿坂
- 居木橋公園
- 官営品川硝子製作所跡
- 東海寺・沢庵和尚・賀茂真淵・渋川春海のお墓
- 荏原神社
- 🐳東品川海上公園・目黒川水門
🚶徒歩で周る場合
御殿山~品川海上公園まではかなりの距離があります。
居木橋公園はナガスクジラのモニュメントを愛でることが目的なので、史跡巡りメインの場合はショートカットしてOK🌟
🚃電車で周る場合の最寄り駅
京急:北品川駅下車→舟だまりと利田神社
京急:新馬場駅下車→荏原神社と東品川海上公園
品川浦舟だまり
かつて、品川は江戸城に鮮魚を納める御菜肴八ヶ浦のひとつでした。
海苔の産地として栄えたものの、昭和37年(1962)に東京港建設のため漁場権利を東京都に譲り渡し、翌年品川での海苔養殖は幕を閉じます。
舟だまりの水路にかかる石の橋:北品川大橋は大正時代末期のもの。
かつては、この舟だまりより先はすべて海だったのです。

利田神社・鯨塚
📍最寄り駅:京急線・北品川駅
舟だまりのすぐそばにあるのが利田神社。よみは「かがたじんじゃ」。むかし、このあたりの開発に尽力した利田利兵衛という人の名前から取ったのだそう。
利田神社には、現存する東京唯一の鯨塚があります。

塚の下には、寛政の鯨の頭部が埋められているとのこと。近くには谷素十の俳句が刻まれた石碑もあり、都内とは思えないほど静かな時間が流れています。
ただしこの史跡、解説板の位置が非常に悪いです👼
鯨碑や鯨塚の解説板の手前には池やプランターがあり、近づくことができないので文字を解読するためにはスマホの拡大機能必須です。品川区が設置している解説板は、梅の花が咲くと読めなくなるかも……👼

御殿山
桜の名所として知られる御殿山。鯨塚のある利田神社から品川女学園方面に歩いてゆくとすぐにたどり着きます。
2月上旬に行ったので桜は全然咲いてない……🌸


ちなみに、御殿山の坂は今も昔も変わらず同じ場所を走っています。
史跡説明によると「昔に比べてちょっと緩やかになった」とのことですが、十分急な坂だと思う……👼


📍利田神社から御殿山へ向かう途中、北品川本通り商店街を通過するときに徒歩新宿(かちしんじゅく)の跡を見ることができます👀


居木橋公園
ここは史跡ではなくてクジラスポット。
きしゃぽっぽ公園として知られる居木橋公園には、ナガスクジラ(たぶん)のモニュメントがあります。

官営品川硝子製作所跡
史跡の石柱は品川硝子「製作」所ですが、正しくは品川硝子「製造」所。
明治時代、殖産興業の名のもとに工業製品の国産化を推し進めた日本。
明治6年(1873)、東海寺境内に日本初の近代ガラス工場・興業社が設立。3年後に明治政府に買収されて工部省の官営工場となり、外国人技師を招いて食器や日用ガラス器製造の技術を伝えました
明治18年(1885)に民間工場となった後はガラス製品やビール瓶などを生産したものの、経営不振により明治25年(1892)に解散。
史跡板の近くには硝子の材料:珪石
📍煉瓦造りの当時の工場の一部は、愛知県犬山市の明治村に移築・保存されています。


東海寺・沢庵和尚・賀茂真淵・渋川春海のお墓
鯨塚のある利田神社は、沢庵和尚が弁財天を祀ったことが始まりだと言われています。その沢庵和尚のお墓があるのが東海寺。
お墓の案内は官営品川硝子製作所の石碑近くにありますが、東海寺までは少し歩きます。


沢庵漬けは沢庵和尚が考案したとも、関西で広く親しまれていたものを沢庵が江戸に広めたともいわれています。
関西→江戸説については、徳川家光が東海寺の沢庵のもとを訪れた際、「たくわえ漬け」と呼ばれていた大根の漬物を気に入り、「タクワエ漬ニアラス沢庵漬ナリ」と命名したと伝えられている……が、こちらも伝承の域を出ない模様。
📝沢庵禅師直伝! 沢庵漬けの付け方
大根100本に対し、米ぬか9升、塩3升
荏原神社
和銅2年(709年)9月9日創建。新緑で有名な神社。
古くは品川大明神・天王社と呼ばれた品川宿の総鎮守。
東京遷都の際、内侍所となり、明治天皇は荏原神社に四度行幸。また、源氏・北条・徳川の崇敬も篤かったことで知られている。
しながわ百景に登録されているのは新緑の荏原神社ですが、梅の時期の荏原神社も美しい……!


東品川海上公園・目黒川水門
目黒川が天王洲南運河に流れ込む部分に広がる東品川海上公園には、15メートルを超えるクジラの遊具があります🐳

あまりにも大きな遊具なのでクジラの遊具だけが印象に残りがちですが、遊具のそばには寛政の鯨に関する解説パネルが設置されています。

たぶん、遊具の大きさ≒寛政の鯨 だと思う🐳

クジラの遊具のすぐそばにある目黒川水門には、クジラのイラストが描かれています🐳
これは公募で選ばれたイラスト。「しながわ」の文字でデザインされている波にもご注目👀


品川:鯨塚巡り ノートまとめ



