人間的優しさに満ちた随筆集:太宰治『もの思う葦』
太宰治というと『人間失格』や『川端康成へ』のイメージが強く、なんとなく敬遠していた作家のひとりでした。
「暗くて卑屈」という彼の印象をがらりと変えたのが、随筆集『もの思う葦』。太宰の作品が苦手で……という人にこそ読んでほしい一冊です。

太宰ってこんなにきらきらした言葉を残していたんだ……! と感動しました!
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エッセイを嫌った太宰
太宰は日常生活のようすや日々考えたことなどをエッセイとして発表することを嫌っていました。
これは太宰自身の矜持によるもの。
小説にならないただの日常身辺や故郷や友人関係についての文章などは小説家の誇りにかけて書きたくなかったのだろう。
――『もの思う葦』 解説
このため、冒頭には「編集さんに書けと言われたから、書きます」といった愚痴が散見されます。

太宰のことを知らずに読んだら「なんだこいつ」って思うかも
ただ、これは太宰流のアイスブレイキング。
最初は言い訳がましい態度が苦手だったはずなのに、読んでいくうちに愛嬌を感じるようになります。
読み進めると、すぐにひやりとするほど鋭い言葉に行き着きます。
いやになってしまった活動写真を、おしまいまで、見ている勇気。
――生きて行く力
いますぐいちどに、すべて問題を解決しようと思うな。ゆっくりかまえて、一日一日を、せめて悔いなく送りたまえ。幸福は、三年おくれて来る、とか。
――答案落第
ヒポクラテスの「芸術は長く、人生は短し」のように、短いが深い思考による真理を含ませた言葉のことをアフォリズムといいますが、太宰はアフォリズムの名手であるように思います。
あたたかみを感じる書きかた
格言の類は人を寄せ付けないような気配をまとっていることがほとんどですが、太宰の文章はすっと心に入ってくるような、不思議なあたたかさに満ちています。

太宰自身の考えや感情が素直に書いてあるからなのかも……!
わたしが一番あたたかさを感じたのが『蟹について』という随筆。
芥子つぶほどの蟹と、芥子つぶほどの蟹とが、いのちかけて争っていた。私、あのとき、擬然とした。
――太宰治『蟹について』
太宰の文章は、いい意味で飾り気がありません。眠ければ眠い、気が乗らないなら気が乗らないとストレートに書くのが太宰です。
この文章が装飾的だったり、比喩を駆使した芸術的な文章だったとしたら、さほど心には残らなかっただろうなと思うのです。
随筆を嫌った太宰は喜ばないかもしれないけれど、彼のつぶやきを聞いているような感覚が味わえる随筆にこそ、太宰の魅力が詰まっているように思います。
新生活におすすめの随筆集
太宰治『もの思う葦』は新生活の中で読む一冊としてもおすすめ。
後半は後に述べる通り文豪とのバトルがメインなのですが、前半は非常にまっすぐで明るいメッセージと出会うことができる、素敵な読書時間がすごせるはず。
文豪とのバトルも、批判とはいえお互いを知っているとなんだかくすっとするような表現が使われていることもあるので、本好きさんにとってはたまりません。
また、数行〜短いものについては一行で終わる随筆もたくさんあるため、移動中に読むのにぴったり。

太宰が適度に愚痴をこぼしてくれるので、ちょっと救われるような気持ちになることも◎
作中で『ダス・ゲマイネ』発表後、太宰の自宅に投函された差出人不明のハガキに書かれていた歌がそっくりそのまま引用されている箇所があります。
この先なにが起きるんだろう……と思っていると「名を名乗れ!」の一言が飛び込んでくる(それはそう、と思って笑ってしまった)。
そんなまっすぐな太宰治が大好きになりました。

文豪とのバトル
太宰はとにかく色々な文豪と言い合いをします。
売り言葉に買い言葉、お互いの連載や座談会の中で遠隔射撃を浴びせ合うようなバトルが多いのですが、その相手が名だたる大文豪ばかりというところも見どころ(?)のひとつ。
vs. 川端康成
第一回芥川賞を逃した太宰治が、川端康成へ送った手紙『川端康成へ』はあまりにも有名。
青空文庫でも読めるので、まだ読んだことがないよという方はぜひ読んでみてください。
ただし、川端康成が「作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあった」と言うのにはきちんと理由があります。ごもっとも……というのは太宰の生活態度を見れば明らかです。
いくら芥川龍之介を尊敬していても、どれだけいい作品が書けたとしても、後進の育成ということを本気で考えていた川端にとって、私生活が乱れている太宰を外すという選択は、芥川賞と太宰の双方の成長を考えた結果だったのだと思います。

vs. 志賀直哉
太宰は小説の神様:志賀直哉ともバトルをしています。威張った男が大嫌いだった太宰治にとって、志賀直哉は「威張っている男の代名詞」だったのかもしれません。
志賀直哉も太宰を嫌っていたようで、こちらのバトルはたいてい志賀直哉のコメントから始まります。
「年の若い人には好いだろうが僕は嫌いだ。とぼけて居るね。あのポーズが好きになれない」
――『文学行動』(復刊第2号、1948年)
「二、三日前に太宰君の『犯人』とかいうのを読んだけれども、実につまらないと思ったね。始めからわかっているんだから、しまいを読まなくたって落ちはわかっているし」「何んだか大衆小説の蕪雑さが非常にあるな」
――『社會』(1948年4月号)
このときの対談相手は川端康成。
川端も「『斜陽』を読みましたけれど、別に新しいとか、これまでの人には書けない、というような感じはありませんね」とコメントしているので、太宰はひどく傷ついたに違いない……。
『もの思う葦』の中に収録されている『如是我聞』では、志賀直哉の批判を真正面から受け止めた太宰が志賀を痛烈に批判しています:
或る「老大家」は、私の作品をとぼけていていやだと言っているそうだが、その「老大家」の作品は、何だ。正直を誇っているのか。何を誇っているのか。
――『如是我聞』
志賀直哉というのが、妙に私の悪口を言っていたので、さすがにむっとなり、この雑誌の先月号の小論に、附記みたいにして、こちらも大いに口汚なく言い返してやったが、あれだけではまだ自分も言い足りないような気がしていた。いったい、あれは、何だってあんなにえばったものの言い方をしているのか。
(中略)おまえたち成金の奴(やっこ)の知るところでない。ヤキモチ。いいとしをして、恥かしいね。太宰などお殺せなさいますの? 売り言葉に買い言葉、いくらでも書くつもり。
――『如是我聞』

……買いすぎぃ!!
ちなみに、文中の「お殺せなさいますの?」というのは志賀直哉の作品中に出てくる言葉を用いた嫌味。ちなみに、この手前でも
「お殺せ」いい言葉だねえ。恥かしくないか。
と志賀直哉を痛烈に皮肉っています。
もはや買い言葉の域を超えて売り言葉である。
vs. 三島由紀夫
太宰が嫌いな男その2:マッチョ。
みなさんご存知のとおり、三島由紀夫はマッチョである。また、学習院→東大というルートをたどった三島は、田舎の大地主の道楽息子という太宰とは対照的。
ちなみに、三島由紀夫は前述の志賀直哉と一緒になって太宰治の『斜陽』を批判しています。

これは完全に志賀&三島が優勢……!
両名は登場する華族の言葉遣いや行動がおかしいと猛批判したわけですが、志賀直哉も学習院出身なので華族についての批判はもっともと言えるでしょう。
三島由紀夫は「僕は太宰さんの文学は嫌いなんです」とダイレクトに伝えただけでなく、著書の中でも太宰を批判しています。
太宰のもっていた性格的欠陥は、少くともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だった。生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ。いささか逆説を弄すると、治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない。
――三島由紀夫『小説家の休暇』

……アドバイスまでマッチョ!!!
かつて自分自身の弱々しい身体を嫌悪した三島にとっては、太宰の中に自分の過去を見るような気がしたのかもしれません。
実際、太宰に対する三島の嫌悪には文学的な視点以上に個人的な感情が含まれていたのではないかな、と思います。
vs. (?) 島崎藤村
両者に直接的な交流はないようですが、作中で太宰に噛みつかれているのが島崎藤村。
ヨーロッパの大作家は、五十すぎても六十すぎても、ただ量で行く。マンネリズムの堆積である。ソバでもトコロテンでも山盛にしたら、ほんとうに見事だろうと思われる。藤村はヨーロッパ人なのかも知れない。
――『感謝の文学』

敬愛する芥川龍之介が藤村のことを「老獪な偽善者」と評したのが原因かも?
太宰は芥川龍之介を尊敬していたので、その流れで藤村にマイナスイメージを抱いていた可能性もあります。
批評のほうがキレがいい
太宰治の随筆集『もの思う葦』には大文豪に対する批判を読むことができますが、太宰の切れ味が良いのはむしろ批評ではないかなと思います。(これも作家・太宰に言ったら怒られそう)
太宰治が作家ではなく批評家としても生きていたのなら、非常に面白い作品がいくつも生まれただろうなあと思うのです。

売り言葉に買い言葉の癖は、直さなきゃいけないと思うけども……
ふつうのエッセイは「書きたくないけど仕方ないから書きます」という太宰節を存分に楽しめます。
かなり長いものもありますが、作品の終わりがけで「ようやく筆が乗ってきたけど、規定枚数だからここまでにしますね」というコメントがあるので好き嫌いは分かれるかもしれません笑
この太宰ならではの雰囲気がきらりと輝く告白に導かれるのは随筆でしか味わえない醍醐味。太宰はちょっと苦手という人はもちろん、太宰が大好きな方が読んだときにも、彼の新たな魅力に気づけるはず。

密度が高いので比較的長く読書が楽しめるところのも嬉しい◎
通勤や通学の時間に、太宰治『もの思う葦』を開いてみてはいかがでしょうか。

