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【史跡さんぽ】筑波海軍航空隊記念館と鹿島海軍航空隊跡

伊佐奈 瑛

5月上旬、茨城県の筑波海軍航空隊記念館・鹿島海軍航空隊跡の視察に行ってきました。
今回は、視察の様子を共有していきたいと思います。

筑波海軍航空隊記念館

茨城県立こころの医療センター のなかにある史跡群。日本最大規模の戦争遺構です。

広大な敷地の中に旧日本海軍の史跡が点在していて、ゆっくり見て回ると1日では足りないかもしれない……というくらい広いです。

伊佐奈 瑛
伊佐奈 瑛

写真は海軍航空隊司令部庁舎!

海軍施設ということで、司令部庁舎は軍艦の形を模しています。ちょっと離れて、建物を真正面から見ると本当に軍艦そっくりです。

館内には当時のままの電燈の傘が残っているなど見どころがたっぷり。

自由散策だけでは見落としてしまうであろうポイントもたくさんあるため、時間に余裕がある場合はガイドツアーへの参加がおすすめです。

ガイドツアーは参加費500円各回先着20名限定なので、時期によっては定員オーバーしてしまう可能性がある……かもしれません。

特筆すべきは、ツアーに参加するともらえるパンフレット
非常に良い歴史資料です。

単なる資料集ではなく、「発掘調査エピソード」というタイトルの通り史跡保護の流れや取り組みをとても詳しく知ることができます。お土産として売っていたら普通に買う。

伊佐奈 瑛
伊佐奈 瑛

史跡調査を始めて以来、史上最高に感動したパンフレットとなりました……!

考えてみると、史跡の特徴をまとめたパンフレットはたくさんあるけれど、「どんなふうに価値が見出されて」「どのようにして保護されて」「いま、どんな課題があるのか」をしっかりと記載したものとはなかなか出会えません。

パンフレットを読む中で、史跡は「価値のあるもの」として来場者に示されるものだ、ということに疑問を持つことがなかった自分に気づいてはっとしました。

史跡を後世に残すために、人生を賭けて取り組んでいる人々がいるからこそ、わたしたちは史跡を「史跡」として認識できる。

史跡は自然に「史跡」になるのではない、過去の記憶と未来への想いが史跡を「史跡」にするのだということを心に刻みたいと思います。

地下戦闘指揮所

筑波海軍航空隊記念館から少し離れた場所(徒歩23分)にあるのが地下戦闘指揮所

一見すると古墳のような小山の下に、本土決戦に備えて作られた地下施設があります。

見学は土曜日と日曜日の11:00~14:30の間のみ。
また、見学には事前予約が必要です。

確認項目が多いため、見学希望の方は事前にHPの内容を確認してください:


筑波海軍航空隊記念館・地下戦闘指揮所 HP

戦争のために作られた地下施設が残っているのは非常に珍しいです。
この地下戦闘指揮所は私有地に建造されたため、終戦後「解体するのにもお金がかかる」と放置されていたことで破壊を免れたという背景があります。

内部は夏場でもひんやり
地下施設にも関わらず、ディーゼル駆動の発電機が設置されていた小部屋もありました(排気機構、どうなっていたのか気になる……!)

伊佐奈 瑛
伊佐奈 瑛

夏場はゲジゲジさんGさんと出会いがちとのこと。
苦手な方はご注意を笑

住宅街に残る滑走路跡

車をお持ちの方は、ぜひ滑走路跡に足を運んでみてください。

三角形をしているのは、どんな風向きでも飛行機を飛ばすことができるようにする工夫。

筑波海軍航空隊記念館の屋上からも場所を目視することができますが、徒歩だとかなり歩かなければなりません(夏場はちょっときついかも)。

青経路部分が滑走路。左端の辺と平行な2本の道路も滑走路として使われていました

筑波海軍航空隊について

筑波海軍航空隊は、昭和9年8月15日、霞ヶ浦海軍航空隊の友部分遣隊として発足しました。担当任務は飛行操縦基礎教育特攻隊の操縦訓練も行われていました。

当時の姿をほぼ原型のまま残している数少ない戦争史跡で、映画「永遠の0(ゼロ)」のロケ地としても有名。

鹿島海軍航空隊跡

鹿島海軍航空隊は水上機操縦教育を主とした部隊。

開戦後は水上偵察班潜水艦の攻撃隊も加わり、内地の防衛・搭乗員の教育・鹿島灘における対潜作成を主な任務とする大規模基地となりました。

筑波海軍航空隊と同じく、当時の姿がほぼそのまま廃墟化した史跡群。
「本庁舎跡」「ボイラー室跡」「発電所跡」「車庫跡」「軽油庫跡」などが現在もその姿をとどめています。

伊佐奈 瑛
伊佐奈 瑛

ただし、風化速度が非常に早いのが課題。

廃墟化した史跡ということで、こちらもロケ地として人気が高い一方、筑波海軍航空隊記念館とは保存に関する課題が大きく異なります。

写真の通り風化・劣化が激しく、維持もクラウドファンディングに頼るところが大きいのだとか。
また、廃墟のあちこちに遺物が落ちていて「これって本来展示すべきものなのでは……」とびっくりしました。

また、施設の老朽化も進んでおり、いつまで公開できるかわからない場所が数多く存在するのが現状です。
1階部分には大きな雨漏りの跡がありました。

知ってほしい、見てほしいという気持ちがある一方、施設を公開することでいたみが激しくなるという側面もある。去年までは公開ができたけれど、今年からはもうできないというお部屋も実際にある。だけど、公開をしないことには補修のための資金も集められないのが現状。

ーーというガイドさんの言葉に、この史跡が直面するが凝縮されているような気がしました。

天井全体に苔が広がっている

来年までもたない史跡もある

ガイドさんが「ぜひ見て帰ってほしい」という史跡が画像白丸の小さな山。

これは施設内にある地下壕跡。本来はもっと高かったそうですが、風化が進み2026年5月現在「来年の夏にはもうなくなっているかもしれない」史跡なのだといいます。

保存には、いろんな形がある

今回の記事では史跡の風化に注目して「本物に直接触れることができる期間」のお話をしてきました。

伊佐奈 瑛
伊佐奈 瑛

でも、じつは「史跡保護」のあり方は多種多様!

「史跡をどんな形で後世に残していきたいか」という話題になったとき、鹿島海軍航空隊跡のガイドさんから非常に素敵な言葉をいただきました。

今回の記事の締めくくりとして、その言葉を以下に記したいと思います:

形あるものは、いつか失われる。これは紛れもない事実です。これを理解できない者は、あるいは否定しようとする者は、継承も発展も担うことはできないでしょう。

ですが、史跡保護を担い、歴史や文化の継承を生業とする我々は、この事実に立ち向かわなければならないのです。

資金的に制度的に、その他さまざまな理由で、ここにある史跡の多くはいずれ姿を消すでしょう。

ただし、そのままの姿を保つことだけが史跡保護のあり方ではない、少なくとも私はそう考えています。風化を運命づけられた史跡の案内人だから、そんなふうに考えてしまうのかもしれないけれど……。

だけど、写真でも文章でも動画でも、あらゆる手段を尽くして「いまの姿」を記録すること、これも保護と継承だと思います。鹿島の史跡をロケ地に選んでいただけるということは、そういう意味では嬉しいですよ。作品の中に史跡が記録されるわけですし、作品に惚れ込んでこの場所を訪れた人は、崩れゆく史跡の姿をみなさん本当に真剣に、自分のこととして受け止めて考えてくださる。映画やドラマ、その作品から得た感動というきっかけが、遠い昔の出来事と今を生きる人を繋ぐんですね。

だから、今日はたくさん歩いて、たくさん触れて、先生の記憶にこの場所の姿を刻んでください。学生さんに記憶を物語るとき、その言葉はきっと継承のきっかけになるはずですから。

関連資料

史跡調査まとめノート

Xで史跡調査のまとめノートを投稿しています。
(画像だと読みやすさに限界があるので いつかノートを種類別にまとめて本 or 同人誌の形にしたいなあ……!)

伊佐奈 瑛
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第34回くじラジオ

後半で、今回紹介した史跡を紹介しています。
※2026年6月13日(土)公開予定。リンクは動画公開後に追加します

よろしければ、あわせてお楽しみくださいませ!

ABOUT ME
伊佐奈 瑛
伊佐奈 瑛
クジラー/YouTuber/教育研究職
クジラーこと伊佐奈瑛です! 文字と鯨(特に鯨骨)が大好き。 興味と好奇心に忠実に、ゆったりと読んで学んで書く日々を楽しんでいます◎
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