「心」を描くSF短編:キム・チョヨプ『わたしたちが光の速さで進めないなら』
ようこそ、137号室へ。伊佐奈 瑛(@IsanaAkira)です。
今日の1冊は、キム・チョヨプ『わたしたちが光の速さで進めないなら』
2020年発刊のSF短編集。
他者への理解、共存を描く7つのお話が収められています。
ぼんやりとした生きづらさや 「頑張れないわけじゃないけど、いまは頑張る気持ちになれない」ーーそんな気持ちを抱えている人がいたら、そっと開いてみて欲しい1冊です。
「人の心」を感じるSF短編
SFというと、冷たい宇宙空間で未知の生命体と戦う、といったイメージをお持ちの方も多いかもしれません。
ですが『わたしたちが光の速さで進めないなら』には、「人の心」を強く感じる物語が収められています。
「宇宙」という空間が持つ果てしない冷たさや静けさとともに襲ってくる孤独などの要素が、恐怖の対象ではなく人の心が持つ温もりを引き出す要素として非常に丁寧に描かれています。
表題作の中で、「家族と引き離される」という言葉の持つ重みが「同じ星の中の話」ではなく「宇宙」という規模に引き伸ばされる場面があります。
この世界でも起こりうる事象の舞台が「宇宙」に引き伸ばされたとき、主人公が抱く葛藤はこんなに鋭く心に刺さるものになるのか、と感じました。
宇宙空間が舞台だからこそ到達できる感情や、宇宙が舞台でなければ問いかけることができない質問が一気に迫ってくる感覚は、この本から得られる極上の読書体験のひとつだと思います。
わたしたちが光の速さで進めないのなら、同じ宇宙にいるということにいったいなんの意味があるだろう?
―『わたしたちが光の速さで進めないなら』
ひそやかな輝きを帯びた書名たち
キム・チョヨプ氏の作品は、内容はもちろんのことタイトルの世界観もとにかく秀逸です。
- わたしたちが光の速さで進めないなら
- この世界からは出ていくけれど
- 地球の果ての温室で
どれも思わず手に取ってみたくなるタイトルですよね。
短編のタイトルも「わくわく」という浮き足立つような気持ちではなく、心の底からじわりと湧き上がってくるような「わく……わく……」という気持ちを誘発する素敵なものばかり。
物語を読み終えたあとに、別の意味を見出したり、問いかけとして心の中に留めておけるタイトルになっているところも非常に好きです。

技術が発達しても、「人」は変わらない
物語の舞台は、遠い未来であったり、地球とはまったく違う星だったりとさまざま。
ですが、読み始めてすぐ、物語に登場する人々は(ときには、人ではない生物だったりもする)今を生きるわたしたちと少しも違いがないということに気づくはず。
生きる世界や技術水準が違っていても、住んでいる星が違って文化や言語が異なっても、心というものの価値は少しも変わらないんだというメッセージに勇気づけられたような思いがしました。
言葉が通じなければ、相互理解は不可能なのか。
技術が発達すれば、人は幸せになれるのか。
これらの問いの答えが書いてあるわけではありませんが、本を読み終えたときには必ず、心の中に「こう思う」という答えが輝いているはず。
争いの渦に世界が飲み込まれようとしている時代だからこそ、ただひとつの答えを求めるのではく、「考える」という行為を起点として「理解する」という行為が意味するものについて、改めて考え直す必要があるのではないかな、と思うのです。
答えのない問いを、静かに問いかける『わたしたちが光の速さで進めないなら』。
ぜひ、時間をかけてひとつひとつの物語を味わい、その中に込められたメッセージとじっくりと向き合ってみてください。
